藍染との戦いが終わって、やっと安寧という名の日常に似た何かが舞い戻ってきた。
 欠落は、欠落として。受け容れるしかないと思う。


欠落


 四番隊隊舎の一画で、俺はぼんやりと窓の外を眺める。貴族でもなければ、金持ちでもないが、個室を与えられて初めて、俺は自分が副隊長だったことに思い至る。

(誰の副隊長だったかなんて―)

 考えるのも億劫だった。副隊長『だった』。そのことは、最早俺の中で過去のことになりつつある。今でも、隊舎に戻れば部下が大勢いるのも覆しようのない事実だ。だが、どちらがより真であるか、考えるだけで、折れた骨が、裂けた肉が、悲鳴を上げる気がした。
 分かっていたはずだった。隊長(と呼ぶのが不適切だと知ってはいるが)は、例えここに戻ったとしても罪人として裁かれるしかない。だが、それでも良かった。いや、それなら良かった。罪を認めて、どんな形であれ、それを雪ぐのであれば、それは、あの人が俺に教えた正義そのものだと思うから。

「どんな形であれ…か」

 多分、そんなことを言いながら俺は、こんな理不尽な別れを受け容れることはできなかったと思う。あの人は、二度とここに戻らない。例え、罪を償う機会を与えられたとしても、死罪は免れなかったはずだ。結局、そこに待つのは永遠の別離で、だけれどそれを、俺は何とか避けようとするのだろうと思っていた。だが、避けるも何も、全ては失われた。全ての機会は失われた。

欠落は欠落として。

(また、繰り返せと?)

 欠落は欠落として、受け容れる。痛みと共に。何度目の欠落だろうか。もう数えるのも嫌だった。多くの存在が、俺を置いて行く。

「薄情者」

 呟いた声は、清潔な白の壁に吸われた。もう何度繰り返したか分からない。こうしてみると、彼らが薄情なのか、それとも、彼らの許に行けもしない俺が薄情なのか、その境というものが、俺にはもう分からなかった。

 そう、いくつもの欠落を考えて、それから。それから。

(それから―)

 あれは確かにあの人だった。




「シュウちゃんっ!」
「草鹿…!」

 今日、病室に現れた小さな彼女に、俺は目を見開く。俺たちの声が思うより大きかったのだろう。「安静ですからね!」と、釘を刺すような四番隊の隊士の声が廊下から聞こえたが、それは俺の病室の前を歩き去っていく。

「シュウちゃん、怒られた」
「お前なあ」

 屈託なく笑う姿つられて、俺も僅かに微笑む。来客用の椅子に座る代わりに、寝台の端に腰かけて、彼女は懐から包みを取り出した。

「はい、これ」
「なんだよ」
「金平糖!シュウちゃんだからあげるんだからね。他の人だったら、剣ちゃんだって絶対あげないんだから」

 得意げに言って、彼女は髪と同じ色をした桃色の包み紙のそれを俺に手渡す。

「悪いな、気ィ遣わせて」
「いいの!」

 相変わらず満面の笑みを浮かべる彼女に、そういえば、と、先ほどの疑問を思い出して、口を開く。

「更木隊長の御加減はどうだ?」

 彼女のことだから、日がな一日彼の傍にいるものだと思っていた俺は、わざわざこちらに来た彼女に、相当の気を遣わせているのだろうと思ってしまう。

「もう絶好調なんだけどね、まだ出ちゃダメって四番隊で横になってるよ。シュウちゃんと一緒」
「傍にいなくていいのか?」
「それは、そうなんだけどね…」

 言いよどむように、僅か俯いて、彼女は俺の袖を引いた。

「ねえ、シュウちゃん」

 その動作に、首を傾げると、彼女は困ったように、だが、どこか必死なふうに顔を上げて視線を合わせる。

「泣きたい時は、泣いていいよ」

 その言葉に、俺は小さく微笑んだ。微笑む以外に、どんな顔をしたらいいのか分からなかった。

「泣かねえよ」

 だってそれは、あの人との約束。

『笑え』『泣くな』

 例え歪んでしまったとしても、その言葉を噛み締めて、俺は今、ここに立っているから―

「だって前は泣いたじゃない!シュウちゃんがそうやって我慢するの、あたし嫌だよ!あたしは」
「やちる」
「っ!」

 叫ぶように言う彼女の声を遮って、彼女の名前を呼ぶ。何年振りだろう、彼女の名を呼ぶのは。

「俺さ、強くなったかな。強くありたいから、やちるの前では、泣きたくないんだ」

 それなのに、読んだその名に、彼女の表情がひび割れる。

「シュウちゃんは、強くなったよ。すごく強くなった。でも、泣き方忘れちゃったなら、きっと、ダメなんだ」

 やちるは、俯いて呟くように言った。それに俺は、また困ったように笑う―笑えていたと思う。見下ろす彼女の肩は微かに震えていて、まるで泣いているようだった。本当は全く逆で、彼女は、俺を泣かせるのが本当に上手かった。

「会ったの?」

 俯いたままで、やちるは言った。何がとか、誰にとか、そういう一つ一つは、必要ないように思えた。

「会ってない」
「でもいたんでしょう?」
「……ああ」

 ふと、彼女から視線を逸らして窓の外を眺める。隊舎の間を縫って、『二人』の目を盗んで、俺たち二人はいつだって走り回っていた。小さな時、過去、追憶―それは、憧憬に変わり、あるいは思い出に変わった。そして今も、引きつるような痛みを齎す。

「会ったところで、忘れていると思う。もっとずっと大変なことはいくらでも起こった」

 過去に、まだ幼かった時に、救われ、一時を共に過ごしたことは、多分嘘ではない。だけれど、俺はあまりに幼かった。多くのことを知ったのは、本当につい先日のことで、その日まで、自分がずっと幼いままだったような気さえした。あの人のことも、隊長のことも、俺は何一つ知らなかった。

「知らないってことは、多分罪なんだ」

 外から視線を彼女に戻して、そのやわらかな髪を撫でる。

「知っていけばいいだけじゃない」

 大人びた声で彼女は言った。心の内を見透かされたような気がして、少しだけ、この幼馴染が眩しく映った。