「いるか?」

 珍しい来客だった。肩に彼女の姿はない。

「どうしました、急に」

 席を立って、それから、こんなに膨大な霊圧が近づいていたのに、全く気がつかなかった己に、修兵は少なからず驚いた。執務室の入り口近くに、突然の十一番隊隊長の来訪に、どう対応したらいいのか考えあぐねているのか、それともただ単に恐れているのか分からない人だかりができている。気がつけば、隊舎はずいぶん騒がしかったが、それにすら気を留めることなく、手元の書類に没頭していた自分が少し滑稽だった。

「一杯付き合え」


夕闇


 日が沈み、辺りは夜の喧騒にのまれていた。だが、月はまだ出ていない。

「草鹿は?」
「女性死神協会の会合だと」

 肩を竦めてみせた剣八に、修兵も苦笑する。彼女たちのことだ、どうせ、またろくでもないことを企んでいるに違いない。

「精々、巻き込まれないようにしないと」

 軽口を叩きながら、夕闇の中、隊舎を後にする。


 居酒屋の連なる通りは、煌々と灯りがともされ、昼とは違う明るさを見せていた。

「ここ、酒もつまみも美味いんですよ。阿散井と来たことあるんです」
「酒が呑めりゃあ、どこだっていいぜ」
「相変わらずですね」

 笑って言うと、暖簾をくぐる。護廷十三隊の隊長と副隊長という組み合わせに、店員は驚くこともなく二人を個室へ通した。この自然な対応も、修兵がここを気に入っている理由の一つだ。
 一通り酒とつまみが運ばれてくると、剣八が口を開いた。

「ずいぶん、根詰めて働いてるじゃねえか」
「どの隊だって、こんなもんでしょう」

 その言葉が、暗に、「己の霊圧にも気がつかないほど」という意味合いを含んでいることには、修兵も気づいていたが、あえてはぐらかす。

「まして、うちは隊長が不在ですしね」

 笑って言うと、修兵は剣八に酒を注いだ。

「馬鹿丁寧な言葉遣いも、ずいぶん様になってやがるな」

 注がれたそれを飲み干して、修兵にも注いでやる。すると、彼は困ったように眉を下げた。

「ガキじゃねえんですから、隊長相手に敬語使わないワケにもいかないでしょう」
「俺にしてみりゃ、お前も十分ガキだがな」
「何それ、ひでえ」

 けたけたと笑って、幾分くだけた調子で言うと、修兵は注がれた酒を呷った。

「まあ、それくらいには、俺も大人になった訳で」

 それから、剣八の杯に酒を注ぐ。その目は、懐かしさと、幾許かの寂しさに彩られていた。

「やちるのヤツも、ピーピー言ってたぜ。名前で呼んでくれないってな」
「もう、何年になるかなあ…」

 仰ぎ見た天井の木目を、意味もなく辿って、それから指を折る。

「拳西…、さん、達がいなくなったのが百年くらい前?霊術院に入ったのが…ああ、ダメだな。うまく出てこない」

 酒が程よく回ったのか、癖のようなもので、その口から出る言葉にいつもの堅苦しさはない。
 彼の敬語が板についたのは、ずいぶん昔のことだったように、剣八には思えた。院生のころには、それこそ、六車達がいた時のように、剣八ややちるを見かければ走り寄ってきて、何を勉強しただの、何を覚えただのと逐一報告して、周りの生徒を驚かせたりもしていたものだが、入隊してからは、人前で敬語を使わないことはなくなった。一年、五年、十年とそれが続くと、敬語は当たり前のことになり、ここ十数年は、たまたま二人、あるいは三人になっても、職務中であれば彼はごく自然に、剣八には敬語を使う。
 いや、職務中でなくとも、彼が気安く言葉を発する時は、日毎に減っているように剣八には思えた。それは実際そうで、明確に、ではないが、剣八とやちるとの間に、修兵は緩く線引きをしていた。

(ガキが、変なところに頭回しやがって…)

 それでも、こんな日には、やはり敬語を使うのをやめてしまいたくなるし、やめさせたくもなる。
 他愛もない話を続けるうち、自然と敬語は剥がれ落ちていく。
 その頃合を見計らって、剣八が切り出した。

「で、理由を聞こうじゃねえか」
「何の?」
「九番隊の副隊長様が、うちの五席ごときに負けた理由を」

 人の悪い笑みを浮かべて言うと、修兵は、一瞬その目を大きく見開いて、それからばつが悪いとでも言うように、視線を手元に落とした。

「…言わねえ。ぜってー笑うもん」

 言葉の割に、その声は低かった。

「そんなにくだらねえことかよ?」

 その沈痛な声音に気がつかない振りをして、適当に酒を流し込んで応じると、彼はパッと顔を上げた。

「くだらなくない!…あっ…!」

 言ってしまってから、彼は己の失策に気がつく。

「くだらなくねえなら、笑うほどでもないだろ。言ってみろや」

 酒の力も相俟って、上手く乗せられた彼は、苦虫を噛み潰したような顔をして俯いた。

「あんたの…霊圧が、歪んで、弱まって…旅禍に、負けたんじゃないかと…思った、から」

 吐き出すように、それでもゆっくりと彼は言った。

「俺が死ぬわけねえだろ」

 彼は、笑いはしなかったが、少しだけ不機嫌になった。しかし、別段、強い弱いでどうこう言うつもりがないことくらいは、修兵にも分かる。

「うん、分かってたんだけど。実際には、あんたは、やっぱり俺の目の前に舞い戻ってきて、でも、その時、俺はあんたと刃を交えなきゃならなかった。それで…また置いていかれるんじゃねえかと思ってさ。そう思ったら、何か、こう…さ」

 顔を上げて、視線を合わせると、修兵は苦笑した。

「かっこ悪ィな、なんか。やっぱガキみてえ」
「いいんじゃねえのか、ガキはガキらしくしてりゃあ」

 事も無げに言ってやると、彼は困ったように酒をなめて、それから息をつく。

「まあ、結局俺を置いていったのは、あんたでもやちるでもなくて、東仙隊長だったワケだけど」

 力なく笑って言う彼の杯を、また酒で満たす。

「だったらお前は、東仙が連れてってくれりゃあ、満足だったのか?」
「…どうだろう。もしかしたら、そうかもしれない。でも、多分違う。東仙隊長が壊そうとしている世界には、俺の大事なものがたくさんあって、やちるがいて、あんたがいて…だから、多分、連れていってほしかったんじゃなくて、ちゃんと、問い質したいんだ。あの人の正義がどういうものなのか。問い質して、もし間違っていると思ったら、その時には…刀を、抜くかもしれない」

 ぽつりぽつりと呟くように言って、彼は杯を一気に空けた。その頭を、剣八の手がくしゃくしゃと撫でる。

「強くなったじゃねえか。まあ、少し理屈っぽくなったがな」

 わざとらしく茶化してみせたその言葉と、その手の暖かさは、彼の心を上向かせた。

「これでも、瀞霊廷通信書いてますから。理屈っぽくないとやってられねーし」

 少しだけ笑って、彼もおどけてみせる。それに笑みを返して、剣八も杯を空けた。




「さて。立てるか?」

 珍しく先に杯を置いた剣八の姿を、修兵は据わった目で見遣った。

「あー…ちょっと歩けねえかも…」

「ったく。大して強くねえんだから、俺に付き合って呑むなよ」

 その言葉は、彼にできうる最大限の優しさだった。何も、修兵は彼に付き合って呑んでいた訳ではない。強くもない酒を、浴びるほど、とまではいかないが、ほとんど休みなく呑んでいただけの理由はある。
 藍染造反の一件以来、酒を呑みに外に出ることなどしていなかったのだろうということくらいは、彼にも分かった。彼が、東仙の副官であったことを消し去ることはできない。「あの人の正義を問い質す」などと言っていたが、それが如何に悲壮な決意であるかも、剣八は解っている。
 本当は、浴びるほど酒を呑んで、都合よく忘れてしまえればいいのだ。だけれど、彼は、それを選ばない。選べないのではない。かつての彼は、それを選べなかった。だが、今の彼は違う。選べないのではない。選ばないのだ。

(全く、少し目ェ離した隙に、無駄に強くなりやがって)

 だが、その強さの中の脆さを見咎めて、やちるは彼を呼び止めるし、剣八は彼を連れ出す。
 それくらいしか、できることはなくなっていた。それが、歯痒くもあり、不安でもあり、だが、同時に嬉しくもある。護られるだけだった子供は、いつしか、己とその周りを護るだけの力を手にしていた。それでもまだ、その目に彼が子供に映るのは、己の強さ故か、彼の脆さ故か。

「ほらよ」

 彼が伸ばした腕を取り、肩に掛けてやる。それこそ、やちるとかわらないほど小さかった彼も、少し伸び上がれば、肩を組めるほどに背が伸びた。

「あー、会計…」
「奢りだ、バカ。一応、隊長だからな」
「ごちです、更木隊長ォ」

 ふざけてそんなことを言うあたり、相当酔っているのだろう。
 二人が店を出ると、暁九つの鐘の音がした。

「あ…やちる…大丈夫かなぁ」

 大丈夫か、などと言いながら、言った張本人の足取りが一番覚束ない。

「今日は松本んとこに泊まってくるそうだ」

 こうなることなど、彼女は見抜いていたのかもしれない。普段は使いもしない伝令神機に着信があった。 「なんつーか、やちるも、あんたも、物好きだよね」
「あ?」
「俺のことなんか、放っときゃいいのに」

 自嘲をこめて言った言葉には、返答がなかった。


 夕闇は、中天にかかる月の光に喰われた。その月の光を受けて、白い羽織が夜の闇に浮かぶ。


少しだけ、似ている―


 そう思ったら、何だか泣き出したい気がしたが、生憎と、零れるほどの涙を、彼は持ち合わせてはいなかった。




=========
東仙離反後、剣八の場合でした。弓親に負けた理由を妄想。修兵なりのギリギリの一線が「あんた」なんだと思います。でも普段は、口が裂けても「あんた」なんて言いませんよ。酒でも入らないと、私事でもほとんど敬語を使う修兵くん。いろいろと考えることが多いようです。隊長羽織一つで感傷に浸ってしまうあたり、重症。
明日になれば、泣き出したい気分も何もかも捨てて、馬鹿丁寧に敬語を使って、それが当たり前みたいな顔をする。当サイト比三割増「強い」修兵くんです。←ボロボロじゃないか…
私はこの修兵をどこに連れて行きたいのか…謎だ。
そんな強さなら捨ててほしいやちると、それでもいいと思える剣八の差がこんな感じです。
折り畳みは一角と弓親と十一番隊主従です。

おまけ
2011/6/22