「兄様!?」
「おお、蝮。おおきゅうなったな」

 矛造が山にやってきて数ヶ月、蝮は大学が休みになり山に戻った。気心の知れた、ということで、蝮の部屋に付けられたのは矛造と古参数名だった―――その頃からか、蝮付きの行者は、自由が利くうえ楽しいからと転役をそこにしたがる者が多くなったのは。

「蟒様が困ってらしたえ。無理矢理大学行ったんやて?」
「父様全然許してくれんの。あてはちゃんと!」

 茶を入れる矛造に必死になって言ったら、彼は笑った。

「蝮は偉いな」
「偉くない……ねえ、兄様はあてのこと、すぐあてやって分かった?」

 蝮やって、と言う彼女に、彼はからっと笑った。

「もちろん!こないに綺麗な女の子、蝮以外おらんわ」

 その言葉に、蝮はふっと力を抜いた。

「どないした?」
「もし……一目で分からんかったらもう諦める」

 矛造が、ではない。ふっと力を抜いた笑顔が、矛造にはひどく寂しく見えた。

「意地張るの、やめる」
「蝮がそれでええんやったら、ええよ」





「おや、院、新しい行者さんですか?」
「そうです。柔造和尚いいますの」

 山を下って彼女が行く先は、茶菓子を取り扱う店だった。供をしてきた柔造は、自由に歩いているものだ、とどこか感心してしまう。

「今日はこれとこれ。あと、明日お願いしたいものがあるんです」
「ああ、いつもの。何にしましょ」
「何がええやろ。今回は少し目出度い感じの…」
「あら、院、決めはるんです?そりゃ蟒様がお喜びになるわ」

 そう言いながら、店の女将らしき人はぱたぱたと本当に目出度い色をした生菓子をいくつか持ってくる。

「このあたりは明日の一番でお作り出来ますわ。ほんま、目出度いわあ」
「じゃあ、これ。子猫に取りにこさせるさかい」

 力なく笑ったその横顔に、柔造は少しばかりの不安に駆られる。
 彼女の存在を知らされたのは昨日。彼女が幼馴染だと気が付いたのは今日。そうして、彼女は初恋のその時のままの感情で彼に恋させたのに、その笑顔がどこか遠かった。

「相変わらず甘いもん好きやんな」
「たまに抜け出して買いに来てるんよ」

 ほほほと笑って入口の暖簾をくぐり外に出た蝮に、柔造は意を決して訊く。どうして意を決さねばならないのか、分からなかったけれど。

「明日ってなんかあるんか?」
「客人。大事な客人やさかい」

 その声は、どこか突き放す色を持っていた。朝に無駄口を咎めたのとはまた違った、ぴしゃりとした声色。その声に、柔造はそれ以上のことを聞けはしなかった。





「子猫ー、ええか」
「柔造さん!ああ、蝮さんの遣いです?」
「そや。明日菓子取りに行ってくれて」
「分かりました…訊きにくいんですけど、どんなお菓子でした?」

 蝮の遣いで子猫丸のもとに出向いた柔造だったが、いつものことらしく話はすぐについた。蝮の菓子を取りに行くのは子猫丸の役目らしかった。

「どんな、て…ああ、なんや目出度いのんにしろ言うてたけど」
「良かった!」
「は?」

 子猫丸があからさまにほっとしたふうなので、柔造がぽつんと聞き返したら、子猫丸は破顔して言った。

「縁談なんです」
「は!?」
「蝮さんがご自分でお菓子選ばれる時は、お見合いの時で、蝮さん結婚されるの嫌やから、断る時は断るなりのお菓子を選らばはるから」

 干菓子とか、煎餅とか、と子猫丸は続けて、柔造の存在を忘れたようにそれを上役に伝えに行こうと部屋を出ていってしまう。

「縁談…結婚、するんか…?」


 彼女の存在を知ったのは、昨日。
 彼女が初恋の相手だと気が付いたのは、今日。
 彼女の結婚が決まるのは、明日。


 何もかもが急すぎて、柔造は気が付いたら横をすり抜ける子猫丸の腕を掴んでいた。