私は改めてこの世界の常識というものについて思考を巡らせていた。
鎌倉の梶原邸に着けば、当たり前のように使用人さんがいて、景時さんは平然としているし、広すぎるお邸には今回は前の時のように大人数で押しかけたわけじゃなく、景時さんと私の二人だけだというのに、なにも変わらない。
本当に景時さんはこのお邸の主として扱われているし、本人もなんの気負いもなくそう振舞っている。それが驚きだ。住宅事情、と景時さんにいつだか聞き返されたけど、住宅事情には景時さんと朔の扱いだってもちろん込みなんだと私は改めて思っていた。
「御方様」
荷物はオレが片付けるからゆっくりしててね、と言い置いて行ってしまった景時さんのことを考えながら私は旅装束はどうしようと思案する。
「御方様?」
「はいっ!?」
「ああ、ようございました。失礼を」
ぼんやりそんなことを考えていたら、後ろからとんと肩を叩かれ私は驚いて振り返る。そこにいたのは梶原邸の女房さんだった。
「お声をお掛けしたのですが、お気づきになられず、失礼を」
「え、ああ、すみません」
失礼、というのは私に触れたことだろうかなんてぼんやり思いながら見返せば、当然のようにきつく結ばれた旅装束に手を掛けられた。
「あの、大丈夫ですよ!?」
「いえ、若様から鎌倉にいる間の御方様のお世話を仰せつかっておりますれば」
そこまで言われて私はやっと思考が繋がった。この家の主は景時さんで、私は景時さんの奥さんなんだ、と。
なんということだろう、この豪邸の住宅事情に私は含まれてしまったんだ。
*
「それでね、本当にびっくりしたんですよ」
「あー、そうだよね。なんか望美ちゃんも譲くんたちも人にいろいろされるの慣れてない感じだったもんね」
夕餉の後に、部屋でそんな話をしたら景時さんはおかしげにそう言った。
「笑い事じゃないんですよ!」
「そりゃそうだ。望美ちゃんがオレの奥方様になったのは笑い事じゃないね」
「からかわないで!!」
そう言ったら景時さんは余計におかしそうに笑っている。なんだか自分がとてつもなく子供みたいだ。
いや、実際景時さんから見れば私なんてほんの子供なんだろうけれど。
「ほんとのほんとに、恥ずかしかったんだから」
そう呟いたら、景時さんは腕を広げてくれる。
「ごめんね?」
「景時さんが謝ることじゃないですけど」
だからそうやって広げられた腕に私はいつも通りぽすっと飛び込む。そうしたら広げられら腕がいつも通り私を抱きしめてくれた。これは景時さんがもう降参、折れてくれた時にいつもしてくれることだった。そういうことが増えていくのが嬉しくて、だけれど恥ずかしくて仕方がない。
「ね、明日になったら」
「はい?」
「明日になったら、全部話すから、今晩はこのまま眠ってしまってもいい?」
庭先から入り込んできた風が燭台の明かりを消してしまう。そうしたら景時さんは私を抱きしめたままで敷かれていた床に横になった。
「今晩はこうしていてもいい?」
その問いに、私が否と言うと思っているのだろうか。
……思っているんだろうな。
思わせてしまっているんだろうな。
私が嫌だと言えば、たぶんもう本当にあっさりと言っていいくらいあっさりと、この人は私を放してしまうだろうと知っていた。
「景時さんのそういうとこ嫌い」
「え?」
だからぎゅうっと抱き着いてそう言ったら、景時さんは不思議そうな声を出した。だけど暗くて互いの表情は分からない。私は今にも泣きそうな気持ちになっていたからそれでちょうどよかった。
「そうやっていつも、私はここにいるのに、景時さんの奥さんになったのに、いつもいつも入れないようにしてるとこがあるから、そういうとこ嫌いです」
「望美ちゃん……」
私の少しだけ涙声になったその言葉に景時さんは嘆息のようにそう言った。呆れられてしまったかな、面倒だと思われたかな。だけど、そんなことでいちいち線引きをして、私を傷つけないようにする景時さんが嫌なんだ。
そう思っていたら、私が抱き着くのなんて比べものにならないくらい強い力で、だけれどちっとも苦しくない力で強く抱き締められた。
「明日までは、嫌いでいて」
「なに、言ってるの?」
「明日になったら全部話すから」
「違うよ、嫌いじゃないよ、違う、ただ」
「うん、全部分かってるんだ。分かってるくせに、こういう言い方しかできないオレを、明日まで嫌いでいて?」
そんな言葉とはまったくの逆のように、縋るように景時さんは私を抱き締めている。これじゃあどっちが泣きそうなのか分からない。きっと彼も、泣き出しそうな顔をしていることが私には何故か分かっていた。
だから私は静かに目を閉じた。
この腕の中で明日まで眠ろう。
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