今日、梶原家の京邸では客人こそ八葉と白龍のみのこじんまりしたものながらも、その実は盛大な祝言というか宴が行われていた。
もちろん、その主役は梶原家当主梶原景時と、その奥方となる春日望美である。
紆余曲折を経てこの祝言を挙げることに漕ぎつけた二人であり、そうしてそれを祝福する自らの母と妹、仲間たちに、景時も望美もとても嬉しい思いを抱いていた。それもそうだし、こうしてこの日迎えられたことが…と感慨にふけっていたのだ、が。
宴もたけなわの現在、景時はその宴席のうちで一人煩悶していた。
*
望美たちが荼吉尼天を破り、そのことを察知した景時が決死の覚悟で頼朝を説得してからひと月ほどが経った頃だった。形の上では頼朝の弟と腹心、西国の統治名代とその軍奉行だが、やっと景時や九郎を縛っていたものから解放された形で京に戻ってから、こちらの世界に残ることを決めた望美は、梶原家の京邸に居候して景時や朔、二人の母と仲睦まじく生活していた。
先の件で還内府だったと知れた将臣は、しかしながら事情を説明した敦盛以外の八葉、特に九郎と、また望美と譲ともしっかり和解した。もちろん譲と九郎は一発で済まないくらい将臣を殴ったが。だがそれも平家の還内府が憎いというよりも、事情を説明しなかったこと、仲間だったのだから、兄弟なのに、ということ、平家は和議を望んでいたと知っていれば道を探った、といったひどく情に訴えたことで殴られたのだけれど。「なぜお前は何も言ってくれなかったんだ!」という九郎の言葉と「知っていたらもっとできたことがあったろう!」譲の泣きそうな言葉、そして「将臣くんはいつも勝手だね」と泣きながら言った望美に、彼も返す言葉がなかった。助け船を出そうとした敦盛も、三人のその姿を見れば何も言えなかった。
などということがあったのち、将臣は敦盛を伴って平家の落ち延びた南の島へと行った。
譲は八葉としての源氏軍での戦いが認められ京の侍所に出仕することとなった。これは景時と九郎の働きかけによるものだった。将臣は残った平家一門のことに責任を感じていたし、それに望美がこちらに残るならば自分も、と思っていた節がある。それは譲ももちろんそうで、今は星の一族の邸に身を寄せている。
「幼馴染の縁ってのもちょっと妬けるよね」
と言った景時に望美が顔を真っ赤にして「そういうんじゃないですからね!」と叫んだのも、「景時、男の嫉妬は見苦しいですよ?」と弁慶が笑って言ったのもまだ記憶に新しい。
そのようにしてひと月ほどが経った頃のことだ。
*
「景時、お前まだ望美を娶る気はないのか」
九郎が突然そう言ったので(本人は別段突然言ったつもりなどないのだが)、仕事の途中、休憩に飲んでいた茶に景時は盛大にむせた。
「くっ…九郎…?突然何を言い出すのかな〜?」
「いや、別に俺は変なことは言っていないよな?」
その言葉を景時ではなく首傾げて弁慶に問うた九郎は間違ってはいないだろう。執務室には気心の知れた三人しかいない。
「ええ、まあ変ではないですね。だって望美さんは景時の京邸で生活しているのでしょう?同棲っていうんでしたっけ?将臣くんが京からの去り際に言っていたような。あそこまで鎌倉殿に啖呵を切って京での生活を手に入れて、望美さんとの生活に至極満足しているように職場では僕たちにも見受けられる景時が、望美さんを娶らずに一緒に住んでいるだけ、というのはむしろそちらの方が変というか不思議な感じもしますがね」
「だろう?」
そう九郎に言われて景時は今度こそ茶碗を置いて頭を抱える。
「いろいろ、いろいろね!あるんだよ、ありすぎるんだよ!!」
そう叫んで頭を抱えたまま文机に額を打ち付けた景時に、九郎と弁慶は顔を見合わせる。
しかしそんな二人が見えてはない景時は、ぽつぽつと語り始めた。
「まずもって、望美ちゃんが我が家にいて朔と仲良くしてるの見ると年頃の女の子って感じで二人とも微笑ましくてそれだけで嬉しくなるし、ていうか今まで戦場ばっかりだった二人がきゃっきゃしてるとさあ、義理の姉妹だ可愛すぎるって思うし、望美ちゃんが母上から縫物とか料理とか習っているの見ると母上も娘がもう一人できたようだって嬉しそうだし、何より花嫁修業してるみたいで望美ちゃん可愛すぎるし、洗濯一緒にしてもいいですかなんて言われると新妻最高!!!」
「もう娶った気分なのか!!惚気ならやめろ!!!それ以上口を開くな!!!」
もはや娶るとか娶らないとか関係なくほとんど新婚生活を満喫しているように聞こえるその言葉たちに九郎が思わず叫ぶが、それに構わず景時は顔を伏せたまま「うー」とうなった。
「違うんだよ…確かに新婚気分味わってることは否定しないけど…」
否定しないのか、と九郎がげんなりしたところで、弁慶の顔がわずかに曇る。それを見て九郎は再び首を傾げた。
「景時、鎌倉殿のことではありませんか」
「……まあね〜」
覇気のない返答に、九郎の顔がこわばる。兄である頼朝、その妻の政子に憑りついていた荼吉尼天のことを思い出し、また景時がこの京での生活を勝ち取ってくれたことを思い出したからだった。そうしてさらには、景時が自分の知らぬなかで自らの兄と義姉のために手を汚し、自分たちにいらぬ火の粉がかからぬようにしていたことも脳裏を駆ける。
顔をこわばらせたままで歯噛みした九郎の苦しげな顔を、やっと顔を上げた景時はいつものような気の抜けた笑顔で振り返る。
「九郎がそんな顔する必要ないよ〜。そこまで深刻じゃないっていうか、まあ深刻だけど、頼朝様と政子様がってわけじゃないから」
「だが……」
言葉を継げない九郎に、景時は顔を伏せていたために落ちた髪をかき上げる。
「なんていうかね〜、望美ちゃんって白龍の神子でしょ?というか源氏の神子として平家との戦での比売神みたいになってるんだよね、源氏の中じゃ。それをただの御家人のオレが娶るってのがさ、かなりの方面、特に頼朝様に近い御家人から反発喰らうだろうなって思うとさ、望美ちゃんをそういうことに巻き込みたくないし望美ちゃんを政争の具にもしたくないわけ」
苦し気なその言葉に、九郎は息を詰める。そこにある感情がどうであれ自分は頼朝の弟だから、御家人たちからもある程度以上の礼を取られるが、景時はその御家人の一人だからこそ九郎の補佐である軍奉行となるわけで、その立場の差は大きい。そうしてその御家人の中の誰かが神子を娶るというのは、いくら景時がその神子の八葉だと言い張っても想像以上の難問だということは九郎にも十分に分かった。
「だが、お前たちは好き合っているはず。だから望美はこちらの世界に残ったのだろう?」
「うん、だから今の生活だけでも十分かなって」
寂しげに笑った景時に返す言葉を失った九郎の言葉を、しかし難しげな顔をした弁慶が継いだ。
「ですが、いつまでもそういう訳にもいかないのではないですか?鎌倉殿は望美さんの力を知っている。ならば御台様から荼吉尼天が去ったとしても、一度鎌倉殿に叛意を見せた景時に望美さんが渡らないように何か手を打つ可能性は十分ありますよ。例えば景時から望美さんを引き離すために望美さんの方になにがしか…この際九郎だって、熊野の頭領のヒノエだって、景時以外で源氏の益になるならいいわけで縁談を強引に進めるとか、ね?景時が鎌倉殿に多くを望まなかったから僕らの今の生活はありますが、そこに付け入られる可能性は低くはないんですよ?」
そう彼が言えば、景時は渋面を作る。その言葉には一理どころか十理くらいあることが分かるからだった。それは九郎も同じで、彼は思わず俯いてしまう。
「ま、これは僕の憶測ですから。景時が望美さんを娶ってしまえばそれで万事解決なんですけどねぇ」
先ほどまでの真面目な口調から打って変わって朗らかに言えば、景時は顎に手を当てて逡巡したのち、バンと文机を叩いた。
「九郎、鎌倉まで付き合ってくれない」
「どういうことだ?」
「オレ、やっぱり望美ちゃんと祝言挙げたい。娶りたい。望美ちゃんを安心させてあげたいし、望美ちゃんのいない生活なんて絶対嫌だ。頼朝様と政子様に許可もらって、御家人衆を納得させる。だから一緒に来てくれないか」
「……俺でも役に立つなら、一肌脱ごう!」
そういうことになった。
鎌倉へは先に早馬を飛ばして文を出し、仕事がひと段落着いたところであとを弁慶に任せ二人は鎌倉へと出立した。
*
「これは、九郎殿に梶原殿!」
大倉御所の門前にいた御家人の反応は、鎌倉に到着した二人が思っていたよりはいろいろと事を運ぶに易しそうに見えた。
「文は届いているな」
九郎が確認するとその御家人は是と答える。
「兄上にお目通り願いたい旨、伝わっているはずであるから、俺と景時が御所に入ること、お許し願おう」
「はい、鎌倉殿にもそのように申し付けられておりますので」
九郎の言葉にそう返答すると、門が開く。御所に入れたことに二人は安堵したが、その先の謁見の間には頼朝と政子、そうして主要な御家人がそろっていた。それに九郎はわずかに息をのみ、景時は思わず額に手を当てて嘆息した。
「二月ほど経つか、九郎、景時」
頼朝に声を掛けられて、二人は居並ぶ御家人衆よりも前に出て頼朝の御前に膝をつく。
「お久しゅうございます、兄上」
「……」
当たり障りのない挨拶を述べた九郎に比して、景時は表情を隠すように無言で頭を下げた。
「して、二人が私と政子に話があるとのことだったな。西国の統治を任せたお前と軍奉行の景時からの話だ、御家人衆にも聞かせねばなるまい」
(読まれている、か)
頼朝の言葉に、彼の顔を見ないままに頭を下げている景時は臍を噛む思いだった。
「私ではなく私の西国での補佐を務めております軍奉行梶原殿より申し上げたき儀があり馳せ参じました次第です」
臍を噛む思いなのは九郎も一緒だろうに、一肌脱ぐと言っただけあり、兄に対する彼にしては滔々と、頼朝の顔をしっかりと見据えて言った言葉に、景時は感謝と同時に自分の相変わらずの情けなさに苦笑した。それがかえって緊張をほぐし、彼は顔を上げる。
「九郎殿の仰る通り、これは私のお願い申し上げたきこと。私から頼朝様に申し上げます」
見据えた頼朝の顔に、そして横に立つ政子に、かつてのように恐怖を感じない自分がどこかおかしく、嬉しかった。荼吉尼天が去ったからなどではない。これは今から願おうとしている少女がもたらしてくれた優しい勇気なのだと思うと、何としてもこれを通すという気概が生まれた。
「申してみよ」
頼朝の言葉に、景時は彼をしっかりと見据えた。
「源氏が擁する白龍の神子、春日望美をこの梶原平三景時が娶ることをお許しいただきたく存じます」
景時のはっきりとしたよく通る声に、その場にざわめきが広がる。頼朝と政子は笑みをたたえたままで何も言っていないのだから、それは景時と九郎の後ろに座す御家人たちのざわめきだろう。一度は謀反の嫌疑のかかった九郎一行と行動を共にしていた白龍の神子、というものもあるし、源氏を平家との戦で勝利に導いた白龍の神子、というのもある。どちらにせよ、頼朝の腹心であれども、一介の御家人である景時がそのような女を所望し、許されるのか、というざわめきだった。
(いかに梶原殿といえども、それはあまりにも傲慢ではないのか)
(そもそも件の詮議が覆ったのも梶原殿が鎌倉殿に意見したからではなかったか)
(この上神子を所望するなどと、梶原殿も礼も恩義をも忘れたか)
ざわめきとともに聞こえるかすかなその言葉に九郎は明らかな渋面を作ったが、景時は腸が煮えくり返る思いをしながらも表情を崩さず眼前の頼朝と政子だけを見ていた。
(この御家人たちの反応は、想定内だ)
それよりも今は頼朝と政子を何とか納得させなければならない、と景時は腹を据えて二人を見遣る。そんな彼の射貫くような視線に反して、声をあげて笑ったのは頼朝だった。
「景時、お前はあの時と変わらず欲がないな」
「……は?」
その声に含みや棘、冷たさは感じられず、拍子抜けしたように景時が目を見開くと頼朝はクッと笑った。
「てっきり西国だけでなく私は退き東国も九郎の管轄にせよとでも言うのかと思っていたぞ」
その言葉が虚言であることはすぐに知れて、景時の体から力が抜ける。だってそうだろう、そもそもあの時から景時が京での平穏無事な生活以上のものを望むはずがないと頼朝は知っていたのだから。どうあっても景時は頼朝の御家人でしかあれないのは頼朝が一番よく知っている。だからこそ、御家人衆にも聞かせるためなどと言ってこの場を設けた時点で、望美を景時が望むことが読まれていたとを景時と九郎の二人は覚ったはずだったのだから。
そうして読まれていた以上、かなりの修羅場になることを覚悟していた二人であったが、頼朝のこの虚言とからかうような笑みは初めからすべて分かったうえで、二人の考えとは正反対に、御家人衆に二人の婚礼を認めることを伝える場だったのだ、と二人は段々と理解し始めていた。
「本当に景時らしからぬ可愛い願いですこと。だって頼朝様、あの神子は景時のことを本当に愛していましてよ。私、あの子から直接聞きましたもの。あんな熱烈に思われては景時も身を固める気になるというものです」
くすくすと笑いながら言った政子に、景時の顔に朱が昇る。同時にどっと安堵が訪れて汗が出た。
「それに、景時の妹は黒龍の神子。景時が白龍の神子を娶れば応龍の神子を一所に置けるではありませんか。これで源氏は安泰ですわ」
「そうだな。お前は白龍の神子の八葉でもあるのだ。黒白両方の神子をお前が看るというならば願ってもないな。お前は私の腹心なのだから」
いや別に監視対象として娶りたいわけじゃないんですけど、という言葉を景時は飲み込む。完全にからかわれていることが分かっていたからでもあった。
「で、では!兄上、政子様、景時と望美の婚姻をお認め頂けるのですね!」
勢い込んで先に声を上げたのは九郎だった。それに政子がふふふと笑う。
「あらあら九郎、ずいぶん嬉しそうですこと。ですがそうですねぇ、あのお嬢さんが景時のことを本当に好いていることは聞いたことがありましてよ?でも景時は娶らせてほしいと言ったのみではありませんか。やはり神子だからなの?」
「そのようなことはありえません!景時は望美を!」
「駄目ですよ、九郎。だって景時の口からちゃあんと言ってもらわなければお嬢さんがかわいそうだわ。ああ、それともやっぱり監視のためにあの神子の気持ちを利用するのかしら?それなら可愛い願いというより狡猾な景時らしいわね」
景時が望美を愛していることを見抜いたうえで、魔弾だったとはいえ望美を撃たせ、大事な人だったから弔わせてほしいとまで言わせたのは政子だというのに、この上これでは加虐趣味もいいところだ。荼枳尼天が離れても元の性格は変わりがないように思えて景時は大きく息をついた。
「政子様、御戯れはおやめください」
「まあ!私戯れてなどおりませんわ?だってねえ、私は頼朝様を愛しお慕い申し上げておりますから、夫婦というのはそういうものの方が良いのではないの、と言っているだけですのよ?」
目を丸くしてそう言ってみせた政子の横で何かからかうように笑っている頼朝に景時は顔を赤らめながらその顔をしかめるというなかなか高度な芸当を見せた。
「どうした景時、顔が引きつっているぞ」
からかうように頼朝に言われて、景時のしかめ面は完全に羞恥に置き換わった。御家人のざわめきは先ほどとは打って変わった内容になっているが、その声が遠い。遠いというか、これ以上聞いてしまったら情けないながらも羞恥で卒倒する自信が景時にはあった。
だから彼は、その言葉を聞いてしまう前に頼朝と政子を見据えてはっきり、その後ろの御家人たちにも聞こえる声量で言った。
「私は春日望美を愛しています。私が頼朝様に許しを乞うのは彼女が神子である故ではこざいません。ひとえに、私が彼女と結ばれたいと願うからです」
景時の宣言に、その場のざわめきはぴたりと止む。彼の言葉の気迫ゆえかもしれないが、みなが頼朝の言葉を待つようだった。
「相分かった。ならばお前と白龍の神子を娶わせよう」
*
「あの時はどうなることかと思ったがな!兄上はやはり道理をわきまえておられる!」
そうしてあれよあれよという間に調った景時と望美の祝言が執り行われたのは頼朝から許しを得た時から一月後だった。鎌倉で、二人の婚姻が認められた時のことを話しながら高らかに言って景時の肩をバシバシ叩いた九郎はもうだいぶ酔っているようだった。それに将臣は「つーかあの頼朝と政子だぞ…景時どころか俺たちも九郎もひどい目に遭いまくったってのにこのブラコンここまでくるとやべえよ…」と酒杯を重ねながらつぶやいた。祝言に呼ばれたのが八葉と白龍だけと小規模なのは、景時と望美、朔、そうして彼らの母が、最後まで戦ってくれた八葉をどうしても呼びたく、そのために将臣と敦盛を呼ぶためならば他の客人からの祝いなどはあとでいくらでも席を設けるというのが今日から望美が加わる梶原家の総意だった。だからこの祝言の席には将臣も敦盛も駆け付けることができた。
「しかし景時殿は本当に鎌倉殿の前で神子のことを…その、愛していると言ったのだな。すごいと…おも…う…」
赤面しながら口ごもるように言った敦盛も、だいぶ酔っているのかもしれない。彼なら素面でも言いそうなことだから判別がつかないが。
「お願い〜!やーめーてー!!」
「えー!でも私も聞きたかった!ていうか頼朝さんに啖呵切ってるとこ実は私見たことない!!!」
「望美ちゃんもやめて!お願い!あんな寿命が縮みまくることはもう二度とやりたくないんだよ!だってもう二回もやったんだよ!」
景時の隣の席でおとなしくしてもいられない望美が参戦し始めたのでたじたじの景時だったが、その会話をヒノエがさらにまぜっかえす。
「敦盛、お前ちょっと景時のことナメすぎだろ?こいつこんなんでもあの頼朝を一人で丸め込んで京での生活どころか西国の統治まで手に入れた男なんだぜ?そのうえ望美をかっさらうくらい楽勝だって」
「やめて…ヒノエくん…やめて…ほんとオレもう無理」
ついに顔を覆った景時に、しかし無意識に追い打ちをかける者もある。
「でも、今日のこのお酒は頼朝さんからで、そこにある先輩への祝いの反物とか帯とか簪って政子さんからなんでしょう?純粋に祝われてるんじゃないですか?景時さんやっぱり信用篤いんだなあ」
「うん、この贈物たちからはなんの邪気も、悪意も感じられない。むしろ善意だ。あの二人からだなんて信じられないよ。景時と神子はすごいね!」
譲の無意識の追い打ちに白龍までもが加わったので、景時はたまらずに顔を覆ったまま壁にもたれかかった。今日の主役とは思えない状態である。
「景時さん、だいじょうぶ?」
「ありがとう、望美ちゃん…みんなどれだけオレが頼朝様と政子様に逆らえないか知らないんだ…知らなすぎるんだ…」
望美は心配そうに三角座り的な格好になり始めた景時を慰めた。大の男の頭をなでたりぺとぺとと額をさすったりしているこれではどちらが夫でどちらが妻か分かったものではない。いや、男女なのだ、外見を見れば一目瞭然なのだが。
「おやおや、景時。まだ祝言の宴だというのにずいぶん見せつけてくれますね」
「さらに!さらにやってくる弁慶こわい…」
「兄上!なんというだらしない!!望美、構わなくていいのよ。こちらにおいでなさい。そんなふうに兄上に構っていてはせっかく綺麗に着飾ったのに着崩れてしまうわ」
「うん、どうなんだろうね朔…せっかくの祝言の席で平然と望美ちゃんというか新妻を引きはがそうとするってどうなんだろうね…」
「兄上がだらしないのが悪いのですよ、さ、望美、こちらにあなたの好きな料理を持ってきたわ」
「ほんと!」
そう言って給仕をしていた朔は望美を連れて行ってしまう。さめざめと膝に顔をうずめる景時の杯に新たな酒を注いだのはリズヴァーンだった。
「飲め、景時。この酒は頼朝ではなく後白河院からのものの方だぞ」
「ああ…リズ先生完全に確信犯ですね…院だって…院だって苦手なんですよ、権力者が嫌いなんですよオレはああああああ!!!!!」
叫びながらがばっと上体を起こしてその酒を呷った景時だが、愛弟子である神子をさらっていくのだ、これくらいはいいだろうとリズヴァーンは涼しい顔だった。
「あ、朔、最初にも言ったけど望美に飲ませないでくれよ」
そのような喧騒から少し離れた場所でその騒ぎを肴に相変わらずマイペースに手酌で酒杯を重ねていた将臣がこれまた景時一行の喧騒から距離を取っている望美と朔を振り返る。
「分かっているわ、将臣殿」
「わりぃな。あっちじゃ二十過ぎねえと酒飲めねえことになってるから、望美は飲んだことないんだよ。慣れてないんだ、儀式とはいえ最初の三献で容量オーバーしててもおかしくねえぜ」
「大丈夫だよ!酔ってないよ!将臣くん心配性すぎるよ!」
「いや普通に心配するだろ。祝言で正体なくすとか源氏の軍奉行殿の奥方になる女にあるまじきあれだろ」
「さすがに平家の総領をやってただけある発言だな」
「お前もあんまり飲むなよ、譲」
耳ざとく聞きつけて嫌味のごとく言った譲を将臣はねめつけるが、そのセリフから考えてもおそらく譲はもうだいぶ飲んでいるだろうと思われた。
その異世界から来た兄弟と幼馴染である自らの妻になる少女の会話を聞いて、今まで喧騒の中にいた景時の思考が突然にすっと冷えた。
「どうした景時!本気で落ち込んでいるのか!?お前やはり馬鹿か?もう誰もお前から望美を取り上げたりしないぞ!!」
もう完全に出来上がっている九郎は相変わらずバシバシと彼の肩を叩く。周りも相変わらず酒を肴をと勧めてくるので、その冷えた思考をなんとか振り払うように景時はそれららに応じた。
しかし、思考の奥どころか表面化してきたその考えは、将臣の言葉が反芻されて何度も励起される。
『あっちじゃ二十過ぎねえと酒飲めねえことになってるから』
わんわんと酔いが回りかけた頭に、先ほど聞こえた将臣の言葉が反響する。
「おーい、景時ー。頼朝だの院だのの酒が嫌なら俺と敦盛が持ってきた南国の酒でも飲むか。甘いぞ」
その微妙な変化に気付いた将臣が立ち上がって、景時を囲むそちらに動く。
「……将臣くんはけっこうお酒飲めるよね……」
「まあもうこっちきて四年くらい経つからな。かなり飲まされて慣れたし」
「慣れたも何も将臣くんは二十越えてるもんね……」
神妙な面持ちで将臣から注がれた酒を受け取った景時のあまりに真剣で一種異様な雰囲気に、酒が入って明るくなっている連中は主役であるはずの景時を将臣に任せるように放って、今度はもう一人の主役である望美の方に絡み始めた。
それで景時はゆったりとその南国の酒を呷って将臣を振り返った。
「あのさぁ…君たちがいた世界って二十からが大人って認識なんだよね、確か」
「あ?まあそうだな。こっちに来て元服とか若すぎてびっくりしたぜ。一応学校で習ったような気もするけど、実際の年齢で見ると最初はかなり引いたな。特に女子の方の裳着、あれはこええわ。十二、三歳で嫁ぐとか狂気の沙汰かと思ったわ」
将臣がかつての価値観や世界について珍しくもいつになく饒舌なのは、なんだかんだ言いながらも酒が回っているからだろう。
「だ…だよ、ね…」
「え、なにあんた怖いんだけど…なんなの?若い側室でも取る予定あんの?」
「そんなわけないでしょ!!!」
この景時と望美の祝言という宴席においてはかなり綱渡りな会話は、しかし望美その人にも、彼女を囲む二人以外の八葉たちにも、朔にも白龍にも聞こえていなかったから幸いだった。
「望美ちゃんだけで十分すぎるよ。あの子は本当に俺には有り余るくらい、勿体ないくらいだから。側室とか絶対いらないから」
先ほどまでの慌てた様子やその前の妙に真剣な様子からも一変して、遠くを見つめるように言った景時に、将臣はわずかに眉をひそめた。幼馴染である望美が不幸になる類の感覚ではない。むしろこの男がかなり無理をしている、無理をすることになる類の感覚だ、と思った。
「あんま考えすぎんなよ、なんだか知らねえけど望美なら大丈夫だぞ」
「うん。オレわりと待つのは得意だからだいじょうぶ」
微笑んで酒杯を呷った男に、将臣はふと妙な不安を感じた。
*
「じゃあ今日は僕らは九郎の邸に世話になりましょうかね、ヒノエ?」
「だなー。こう酔ってちゃ船も出せなきゃ夜の歩きも御免だぜ」
「私は鞍馬の庵に戻る」
「あー、九郎、俺と敦盛も上げてくんねえ?帰るにもヒノエに船出してもらわなきゃなんねえし」
「弁慶とヒノエと将臣と敦盛だな。任せろ!所帯がないから景時のこの邸ほどではないが俺の邸もわりと広いぞ!」
「すまない、九郎殿。恩に着る」
「俺も邸に戻らないと。先輩というか神子様の祝言の様子をすぐに教えてくれって邸の人たちに言われてるんです。白龍もたまには連れて来てくれって言われたから白龍も行こうな」
宴が終わりに近づく気配を察して皆が口々に言うのに、景時と望美は慌てて言った。
「そんなこと言わずみんな泊まってったらいいじゃない?ほら、うちのいつもの対空いているし?」
「そうだよ、九郎さんの家狭いし酔っぱらって歩くと危ないよ」
「狭くない!!というかお前ら今日は祝言だったのだから…その…」
「馬に蹴られるのは御免って話だよ」
ヒノエがさらっと九郎の言葉を継ぐ。それに望美は一拍遅れて真っ赤になって口をはくはく動かした。祝言の日の夜に特別な呼び方があることくらい知っている。
それに気づいていながら景時は頬を掻く。その顔にあるのは嬉しさやら恥ずかしさやらではなく、どちらかというと困惑、あるいは目論見が外れた顔だなと弁慶と将臣、そしてヒノエとリズヴァーンは感じたが何も言わなかった。
「兄上、望美、ここは皆さんのご厚意に甘えたら?私も母上と一緒に九郎殿のお邸にお邪魔しようかしら?」
朔までもが冷やかすように言ったから望美は真っ赤を通り越してゆでだこのようになってしまう。そんな望美の肩を軽く抱き寄せて、景時は言った。
「ま、そこまで言われちゃね」
「か、景時さん……」
赤くなって震える望美に、景時は小さく苦笑した。
*
「なーんていうか、ヤな予感しかしないな」
「あれは……なんというか景時はかなり迷っているようだな」
ヒノエの言葉にリズヴァーンが答えたところで、鞍馬と六条では二又に道が分かれるところに差し掛かる。嵐山に向かう道はとっくに分かれていて、譲の姿はもう見えなかった。
「ここまで来ても選択とは難儀な男だ」
そう言ってリズヴァーンはすたすたとみなとは逆の道を歩いていってしまう。
「先生は何を…?景時はちゃんと望美を選んだだろう?」
「九郎は分からなくてもいいんですよ」
師の後ろ姿にぼんやり言った九郎ににこりと笑った弁慶だったが、それに今度は敦盛が不安げな顔をする。
「しかし、ここまで来て景時殿にまだ何か不安要素が残っているのか?まさか神子の身に何か!?」
「いやーあれだな…これは完全に景時の甲斐性の問題って感じするな、ひしひしと」
今にも駆けて梶原邸に戻りそうな敦盛の首根っこをつかみつつ将臣はそう言った。そう言いながら酒を飲める年齢と裳着の話をしたことを思い出し言ってみる。
ヒノエと弁慶は「ああー」と言ったきりすたすたと六条に向けて歩き出してしまった。
「ちょっと待て!?裳着!?望美の裳着でも今からするのか!?」
「ま、まさか祝言を挙げるのに神子の裳着を済ませていなかったなどということなのか!?そんな手抜かりが!?」
騒ぐ二人に構わず、将臣もヒノエと弁慶に従って歩き出す。まだ空は夜の暗さを帯びてはいないが、もう夕刻に差し掛かりつつあった。
誰とも知れずため息をつく。長い夜になりそうだな、と思いながら―――
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