【ヴァニラ・アイスの場合】

 DIO様の指先が花京院の頬に触れた時に、その青年の瞳に走ったのは確かに恐怖だった。本当に肉の芽で支配できているのか? と思うと同時に、そのような支配の方が珍しいのだからよく分かりはしない、とどこか冷めたように思う。

「安心していろ」
「……」

 その言葉に花京院が何かを答えようとしているが、恐怖がそのまま震えになって、膝をついた男は反吐を吐いた。それを満足そうに見下ろしているDIO様に、だが花京院は笑った。

「そう、ですね」

 笑った? なぜ安堵している? その意味はなんだ?
 顔面に滲む脂汗と、恐怖に染まる瞳。吐き出した胃液と、崩れ落ちた膝。
 それとは全く正反対の安堵に濡れた笑み。

『安心していろ』

 そう言われたからだとすれば、それは。

「愚かだ」

 その男を支えるように背後に見えた緑の紐に、私は小さく呟いた。





「DIO様を見ていると吐きそうです」
「は……?」

 花京院が不意に言って笑ったその横顔は、不穏というよりはどこか楽しそうだった。
 というよりも実際に、今しがた吐いていただろう、と思えばどこかおかしくもある。見ている、というよりは声を掛けられて、指先で触れられて、そうして反吐を吐いてそのまま笑ったこれは壊れているのではないか、と思ったが、どうしてこうも愉しそうなのか、と。
愉しそうだったそれが相も変わらず『人間味に満ちている』とDIO様自身が面白そうに言っていたことを思い返させる。
 だからどうせ使い捨てだ、と言われているのを、彼自身が知っているかなぞ興味もないが。

「安心と喜びで満たされ過ぎて、狂い悶えてそのまま許容範囲を超えて吐き出してしまう」
「人間には高負荷か?」

 よく分からないままに見当違いなことを言っていると自覚はあったそれに、やはり男は笑った。

「あなたには関係のない話だ」





 ……J・Pポルナレフの顛末を見ていて思ったが、DIO様の肉の芽はそこまでの「洗脳装置」ではないのだろう。私たちのように本当に永遠にあの方に仕えようと思う心、そのようなものまでをも生み出せるわけではなく、むしろDIO様によって与えられる力の方が大きい、ような気がした。その者の持つ精神性に大きく依存しているような。

「どうした、考え事か」

 珍しいな、と目が覚めて血を飲んだ後らしいDIO様がいつの間にかそう声をかけてきた。どこから、という問いは無駄なことだ。

「あー、アレか。花京院君」

 心を読んだのか、それとも戦線を離脱したという報せから興味を持った気紛れか、その方は嗤う。

「単純なことだよ。そうだな、私の力で肉体や精神を屈服させたんじゃあない。だってこっち見る度に吐いていたし、やっぱりアレは貧弱だな。ただ単にあの男の感情が勝手に屈服したんだろう」
「感情が?」

 小さな問いに、その方は嘲るように笑う。

「『人間』だからな。安心さえできれば、その感情さえ与えられれば、苦痛も恐怖も何もかもどうでもよくなった。うんまあ、理解はしがたいが実に分かりやい生き物だ」

 笑って言ったその方の言う「安心」。生きる意味。

「その程度、か」

 小さく呟いた。あの日吐き出すように笑ったそれは、では今はどこにある?


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