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「最後にしようと思うワケ」
うなぎを丁寧に箸でつまんで、彼は薄く笑いながら言った。私は、その薄い笑みにいろいろなことを考えてしまって、そうして、たぶんその考え全部が当たってしまっているのだろうというくらいには、長いこと彼に対する知識を増やし続けてきたのだ、と思い至って、どうしてか、寂寞に似た感情に襲われた。
それは、その考えがひどく寂しく、哀しく、恐ろしいものであることへの自分自身を揶揄するような寂寞かも知れず、あるいは、そうやってずっと共に過ごしてきたことへの、小さくて、それでいて大きな、わだかまりに似た、だけれど心地好い日々への別離を予感させる寂寞かもしれなかった。
「……何が?」
何れにせよ、その思考が当たってしまっていることは、きっと間違いなかったから、私は舐める程度にお酒に口をつけて、それから、判っているくせに「何が」と小さく訊いた。
お酒は、いつも行く鰻屋で出されるものよりもずっと甘かった。今吉さんは、こういう方が好きなのかしら、と思ったら、甘いはずのそれが、喉をひりひりと焼くような気がした。
「うーん、いろいろ?やな」
薄い笑みは、今度は猟奇的な笑みになった。この顔を、私はずいぶん昔に見たな、と、ふと思い出す。ブザービーターを決められた時だ。あの、ウィンターカップの初戦。その時の桐皇学園の通り名は「暴君」だったか。諏佐さんも、桜井くんも、若松くんも、青峰くんもそうだったかもしれないが、「暴君」というのが一番似合うのは、今吉さんだったように、いまさらになって思う。
ブザービーターをいとも容易く決める、暴君。荒々しいまでの闘志、そして君主と呼ばれるにふさわしい知略と才。
思い返したら、そんな気がした。
そんな彼が、その大会の後から、何度も何度も私に言い寄って、悪い言い方だけれど付き纏っていた、と思うと、なんだか滑稽で、うんざりしながらも、ずっとどこか可笑しい気分でいた。
でも、いくら彼が好きだと言ってくれても、私は「好きになったりしない」と言い続けていた。だって、運命だと思った人とだって全然上手くいかなかったもの。だけれどその人のことを忘れられない私でもいい、と彼は言った。忘れさせてやる、なんていう、一番言ってほしくない言葉は言わなかった。それが、少し、嬉しかった。
どっちが先に負けてしまうか、から始まったルームシェアに、私は諦めと、僅かばかりの期待をしたのだと思う。
だけれど、それでも、全てを折半して、線引きをして、家賃がキツくとも寝室を二部屋確保して、そうやって、互いが諦められるように努めてきたつもりだった。……それを先に破ったのは私だったけれど。
昨日も酔っ払った彼が私の寝ていたベッドに入ってきて、私を抱きしめて寝始めた時、ひどく、安心した。正直に言うならば、嬉しかった。一昨日の夜、どうしても寂しくて、怖くて、彼がどこかに行ってしまうのではないかと怖くなって、寝室の前まで枕を抱えて行った。でも、入れなかった。いつでも入ってええよ、とずっと昔に、私が取り決めを破ってからいつも言われていたし、それから何度か入ったこともあったけれど、最近は、入ってはいけない気がしていた。
私とこうやって、取り決めをして、ルームシェアをするようになって、それは同棲と呼べるまでになって(色事では何の関係も持ってはいないのだけれど、ここまで来ると同棲と呼べると思う)、だけれど、なんの返答も、応答もない私の我が侭に付き合わせ続けるのは、もう、駄目な気がしていたから。
それでも彼は、事あるごとに「好きや」と言ってくれた。
(私も……好き、なの)
鰻を食べようとして、口に運ぶ。しょっぱかった。ああ、涙が流れているのだな、と他人事のように思った。
(こんなに、大事にしてくれて、好きだと言ってくれるあなたを―――)
愛して、いる、の―――
過去の、あの人の代わりなんかじゃない。今は、貴方が愛しいの。
でも、その一つ一つを口にしてしまったら、ずっと線引きして、入れないようにして、必死に避けてきた全てが、崩れてしまう。私自身、どうしたらいいのかもう解らなかった。そうしてそれは、彼に対する冒涜でもある気がしてしまう。だから、どうしても口にできない。
だけれど、寂しくて、辛くて仕方ない時に、私を抱きしめて眠る彼がいなくなってしまったら、耐えられないのは解っていた。
ぜんぶ、はんぶん。
ぜんぶ、ひとりぶん。
それが、ふたりぶん。
「奢るわ」と言った彼は、そうやって逃げてきた私と、きっと決着をつけるつもりなのだろう、と思ったら、涙がぼろぼろ溢れて、なんて理不尽で、駄目な女なんだろう、と思った。そうしたら、余計に涙が止まらなくて、美味しいはずのうな重が塩辛くなってしまった。だけれど私はそれを掻っ込む。もう食べ方とか、はしたないとかいう体裁なんてどうでもよかった。
私に必要なものは私が出す。
私たちに必要なものは私たちが出す。
そんな理不尽なことばかり言いながら過ごしてきたのに、‘私たち’に必要なものを心のどこかで欲している自分が、本当に理不尽で、醜くて、惨めだった。
そうして泣きながら彼の大好きなうな重を掻っ込んでいる私の頬を、彼の武骨で細長い指が撫でた。
「泣かんで。せっかく美味いんさかい」
優しくしないで欲しかった。それで私は、余計に泣けてきてしまった。
それを見て、困ったように彼は笑う。そうして、決定的な一言を口にした。
「大事な話、しよ」
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