はじまり

 嗚咽が聞こえて足を止めた。

「斎藤?」

 ふと振り返る。そこは斎藤の部屋だった。

「ああ、誰だったかな」

 呟いた自分がひどく滑稽なようで、それでいて分かっているのにそういうことを言うのは少しの嫌味と寂寞と。
 建白書の時も、芹沢の旦那の時も。おまえはそれでいいと思ったのだろうと、微かな嫌味のような嘲りがあった。確かに、あった。
 だが、その泣くような、堪えるような声に耐えられなかったのは、では憐みだろうか。
 それは違うと思ったのに、気が付いたらふと障子に手を掛けていた。

「なに」

 俺が勝手に入った部屋で、それでも泣いていたのを見られないようにか、必死に目許を擦った姿がどうにも可哀想に見えた。

「可哀想?」
「は?」

 口にしてから、ふとその腫れあがった目許に手をやって、呟く。

「おまえは別に、悪くないだろ」
「だって……」

 何を言いたいのか分かったようなその顔に、ふと手を伸ばす。そうしたら、手を伝うようにぼろぼろと涙が落ちてきた。まだ泣ける、と思ったら妙な感覚になった。

「だって、僕が、ころした」

 殺した。ころした。殺した。

「そうするしか、なかった!」

 叫び声に何か思ったのだろうか。その細い体を抱き留めて、柔らかい髪を撫でて、ふと言ってみた。

「いつかみたいに」
「……え?」
「『新八が馬鹿だから、僕が殺す羽目になった』って言ってろ」

 芹沢の旦那? 近藤さんに楯突いた時? もっと他の何かだろうか?

「ぼく、は……」

 そんなんじゃないと小さな嗚咽が聞こえたから、じゃあ理由があればいいんだろうか、と思った。理由がいるなら、いくらでも与えてやれる。与えることしか出来ない。
 理由なら、資格なら、言葉なら。

「なあ、俺のせいにしとけよ」
「な、んで?」

 ぼろぼろ泣いたままの斎藤を組み敷いた。相変わらず細い体に、欲情できるはずもない。男とやったのは、その日が初めてで、だから大して気持ちがいいとも思わなかった。
 ただ、その間ずっと泣いていた斎藤の顔だけが焼き付いている。

「これなら俺のせいに出来るだろ」

 泣き疲れて寝ている斎藤の頬を撫でてふと呟いた。
 これでいいだろ、俺のせいで。
 これでいいだろ、もう泣かなくて。
 何かあったら、『新八が馬鹿だからこうなった』って言えばいいだろ。
 泣いてるよりは、ずっとましだろ。
 そう思ったのに。

「なんだ、これ」

 彼の寝顔を見ていたら、ふと涙が零れて、ひどく苦しくなった。

「じゃあ、俺は」

 斎藤の何を、何が、欲しかった?
 ぽっかりと、穴が開いたような、憐憫、寂寞、憤怒、劣情、欲望……。

「あ、い?」

 愛? あい? あ、い?

「知らねぇよ、そんなもん」