「なに、やってんだ」

 自分の手を見てゾッとした。斎藤の首を絞めていた?
 殺そうとした?
 だけれど。

「ずっとこうしたかった」

 出てきた言葉は思った以上に明瞭だった。ああ、そうだ。体を重ねるよりも、息を交えるよりも、情を交わすよりも、ずっと、本当は。
 あの日、泣いている斎藤の声が聞こえた時に感じたのは、嫌味と寂寞。
 嫌味は本当に単純に、おまえの仕事だろうと、いつものことだろうに何を泣いているんだという、ひどく大人げない、嫌味。
 だってそうだろう? 建白書? 芹沢の旦那? どっちだって俺をのけ者にしたくせに、おまえは全部知ってたくせに。
 だが、それと一緒に感じたのは寂寞。

「何だったんだろうなぁ……」

 それは彼と自分自身に感じた寂寞。こんなことをしてまで、ここに留まる意味が分からないような、こんなふうになってしまった自分たちへの寂寞。
 人を殺して、天下のためだと人を殺して、剣を取ったのは正義のためだと言い訳して、多くを斬った。それが意味のあることかも分からないままに。

「進み過ぎた、俺たちは」

 だから、殺せと声がした。
 止めてやれと、声がした。
 止まれと、声がした。

「例えば、今、斎藤を殺して、そうしてそうやって止めたら、何になる?」

 土方から仕事を強奪して、子供じみた間諜をやった。今から殺す相手と酒を飲んで、思ったのは、こんなもんで泣けるなら、まだ斎藤は引き返せる、ということ。

「何も動かなかった」

 情も、想いも、何もかも。それが出来ないから子供なのだと土方は言った。違う。

『ただ単に』
『ただ単に?』

 揶揄うように言った男を睨みつけて、気が付いた。
 そうだ、ただ単に。斎藤はただ単に、その相手さえ、その相手にさえ。

「何かを求めて、何も求めない」

 それが怖くなった。本当に、怖くなった。だから殺そうとした。

「こ、わ、い……」

 口に出したら余計に怖くなる。さっきまで首を絞めて、息を止めようとした男は、どこも痛くはなさそうに、ただ血の匂いだけが染み付いたように残る部屋で静かに寝ていた。その穏やかにさえ見える寝顔が、怖い。

「何を、与えられる?」

 あの日、あの嗚咽を聞いて、俺はこの男の身体を暴いた。俺のせいにすればいいと言って。
 気持ち良くもなかった。欲情なんざ、してもいない。だが。
 だがそれは、この男を繋ぎ止めようとして、そうして繰り返すうちに、それは憐憫でも寂寞でもなく、ただ単に、欲しいと思った。可愛いと思った、欲を抱いた、欲しいと思った。
 手に入れたいと思った。


 愛されたいと思った。


 だけれど、そう思ったら怖くなった。

「俺は何を返せる?」

 例えばもしも、斎藤が俺を愛してくれたとして、俺は何を返せる?
 愛を、等価の愛を返せるだろうか?


 無理だ。


 何も欲しがらずに、ただ愛を欲しいと、愛してほしいと言うのなら、それに連なる様に身体を欲して、欲をぶつけて、掌中に収めたいと願い、繋ぎ止めて手離したくないと思う俺は、例えばもしも、斎藤に愛されたら、何一つ返せはしない。

「だから俺は、斎藤を愛したくない」

 愛するくらいなら、その息の根を止めて、そのまま俺のものにしたい。
 もしも愛してしまったら、俺には何も返せない。
 それくらいなら。
 首を絞めて息を止めて。
 そこで永遠に止まった斎藤なら、もっと深く、もっと強く、もっとおぞましく。

「愛せるから」