参
左目のあった場所が、恐ろしいまでに熱い。
明滅する世界は赤かった。
それに比べて、山の木々の合間から見える空は、しみるほどに青かった。昨日までの吹雪が嘘のようで、穏やかな小春日和だった。
『どうしよう!』
同朋の許から戻ってきたら、途方に暮れた顔をした杏が、あの古びた誰も知らない祠で泣いていた。
『柳さん、いないの?』
いないの?いないの?と彼女は繰り返していた。何事だろうと思って眼前に降り立ったら、杏は『どうしよう』と叫んだ。
『友達が、山から帰ってこないの』
杏は切れ切れに言った。
『山は吹雪で、近づけないの』
どうしよう、と彼女は言った。そうして、この祠に来たのだという。
『柳さん、どうしよう…ねえ、天気を操ったり、雪を止ませたりできない?出来るって前に言わなかった?』
そう言われて、柳は、ああ、そういえば杏は、学校でこの辺りの民間伝承についての講義を受けていたな、と思い至る。その中には、彼がここに居つく前にいた鬼だか、神だか知らないが、そんな存在が、天気を変えてやって、飢餓を救ったとか、そういう話もあったらしくて、『柳さんはそんなことできないよね』なんて言われたから『そのくらい出来る』と応えた気がした。
出来ないことはない。だが、柳は進んでそれをしてはこなかった。摂理に逆らうことも、人間の力を軽んじることも、どちらも好きではなかったからだ。
自然の摂理はそうあるべくしてあるし、それに翻弄されながらも人間は生きるものだ。
だけれど、目の前で泣いている杏のことを助けられるのは、きっと己だけだと思った。
『分かった』
懊悩の余裕はなかった。
術は、容易く済んだ。だが、代償を求められた。
吹雪が止んだ途端に、左目が異常を訴えた。それで柳は、これが代価か、と気が付いた。摂理を曲げれば、相応の代償を求められる―――いつだか年かさの鬼が言っていたことは事実だった。代償は左目だった。世界が赤く明滅する。
吹雪の止んだ山に人が入ってくる。その気配を遠くで聞きながら、柳は独り大きな杉に寄り掛かった。目の前を救助隊らしき人間が走っていく。……彼らは、その鬼に気が付かなかった。
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