クリスマスは誰にだって来るだろう。そんな歌があったけれど、それは確かに嘘じゃない。カレンダー通りに過ごせばクリスマスなんてやってくるに決まってる。
だけれど、王子様は誰にだってやってくる訳じゃない。
クリスマスの行方
順調に大学生になって、順調に恋をして、順調に破局して、順調にOLになった社会人一年目の朋香の冬に寄り添う彼氏はいない。
「桜乃、帰ってくるんだよね」
カレンダーの日付を確認して、朋香はふと笑顔になった。クリスマスから年始にかけて、桜乃と、彼女が海外にいる理由であるリョーマが帰ってくる。彼と桜乃が出会った中学時代から約十年。リョーマは今では世界のテニス界のトップを争う選手である。その隣にいるのが桜乃であるのが、どうしたって嬉しかった。
クリスマス前、12月23日。祝日のその日は、空港に二人を迎えに行くことにしていた。クリスマスはさすがに無理だが、年末年始くらいは休みが取れる。その間の一日二日くらい、リョーマから桜乃を奪って洗いざらい一年のことを聞くのだって許されるだろう。というか、ここ最近はずっとそうしてきたからリョーマにとっても仕方ないことだった。
*
「え…!?」
空港で、朋香は素っ頓狂な声を上げた。東京ニューヨーク間の便が全て欠航になっていたのだ。朋香は急いでカウンターに行く。
「あの、ニューヨークからの便って…」
訊ねてみたところ、あちらの空港の積雪だとか、整備不良だとかで、今日の分は全便欠航、明日には回復いたします、と困り顔のスタッフに言われてしまった。
そうなったところで朋香はスマホに手を掛ける。10コール目で国際通話は繋がった。
「桜乃?」
『小坂田?』
「リョーマ様!?」
『表示見た?あ、竜崎、今明日の便確認するとか言ってどっか行っちゃったんだよね。携帯置いて』
「見ました。全便欠航って…クリスマス前にすごいですね」
『ほんとだよ。今空港でしょ?ごめん、もっと早く連絡するつもりだったんだけどいろいろあって』
「大丈夫です『朋ちゃん!』」
「桜乃!あんた大丈夫なの!?」
『便確保したから!でも明日仕事だよね?えっと…』
『ちょっと竜崎見せて。明日そっちに着くけど、とりあえず一旦切る。国際電話だろ。メールするから』
「分かりました。桜乃も気を付けるのよ」
そんな会話の末にツーツーと通話が途切れた。
「大丈夫かしら」
切れた通話の後に、朋香はぐるりと広い空港を見渡す。本当は、今日の午後には二人がここに来て、予約済みのレストランで少し早目のクリスマスと、リョーマの誕生日のサプライズパーティーをするはずだったのに、全部御破算だった。
「レストラン、キャンセルしなきゃ」
やらなければならないことはいくらでもある気がして、朋香はふらふらと歩きだす。その時だった。
「きゃっ!?」
ドンっとぶつかったのはマフラーを巻いたサングラスの青年。キャリーバッグを引いてゲートの方から来たのだから海外から来たのだろう。ここはそちらの方のゲートだ。
「すみません、ボーっとしてて」
急いで謝って顔を上げたら、彼は不思議な様相をしていた。サングラスの向こう側の視線でこちらをしっかり見ている。青い髪。どこかで見たことがある、と朋香は思った。どこか、というのは、最近のテレビや雑誌のような気もするし、随分前の古い記憶のような気もした。
「あの」
「あのさ」
声は重なった。そうして朋香の中の既視感は余計に強くなる。男性にしてはやわらかで高い声。だけれどそれは緊張をはらんでいて、その緊張すら既視感を駆り立てた。
「青学の、小坂田さんだよね?」
「なんで…あ!?」
男は、サッとサングラスを外す。その顔は、中学生の頃とほとんど変わらない、かつ、最近リョーマと手塚の記事のために買った雑誌に載っていた優男だった。
「立海の、神の子」
呆然と呟いたら、「神ではないよ」と苦笑された。苦笑してそれから、立海大附属神の子こと幸村精市は彼女の肩を抱いて素早い足取りでその一角から立ち去った。
*
「ちょっと!ちょっとストップ!何なんですか!?」
「ごめん!ほんとにごめん!」
駐車場まで来て、平謝りなのは幸村である。幸村精市といえば、リョーマや手塚と並ぶ日本が誇るプロテニスプレイヤーである。その幸村に、唐突に駐車場まで拉致された朋香は頭を抱えたい気分だ。完全に厄日である。飛行機は飛ばない、一人のクリスマス前夜、その上立海の元部長に捕まる。もう意味が分からない。
「説明してください。なんなんですか、幸村さん」
「ごめん、週刊誌に狙われてて…」
ほうほうの体の幸村が語ったことは、先日のテニス雑誌に書かれていたことに近いものがあって、朋香は何だか深く納得してしまった。
曰く、手塚は婚約済み、リョーマは同棲相手が婚約者、幸村はお相手を隠しているのか、などということが書かれていたのである。プレーだけを追えばいいものの、日本のプロテニスプレイヤーがこんなに豊作なことが少ないからか、そうしてしかも手塚とリョーマは前々から順風満帆だからか、ネタにしやすいのは幸村だけだった。そのテニス雑誌の記事を受けて、クリスマス休暇で日本に帰る幸村を‘狙っているぞ’とメールが来ていたらしい。立海の元参謀から。ついでに‘知り合い一名がニューヨークからの便欠航で彷徨っている確率80%’と書かれていたから、天の助けだと思ったらしい。ひどい話だが、納得せざるを得ない。
「ニューヨークってあったから、いるとしたら桃城あたりかなって思ってた」
「えっと?」
「越前と竜崎さんだろ、来られなかったの。まさか小坂田さんにすがるつもりでいた訳じゃないんだ、ほんとに」
困り顔の幸村の言うことは正論だろう。桜乃とリョーマ云々以前の問題として週刊誌を避けるにしたって、朋香に頼るのを前提にしていたら幸村は正々堂々飛行機から降りただろう。だから逆に、朋香を隠す様に、自分も隠れながらだだっ広い駐車場まで来たのだった。
「とりあえず、早く空港出た方が良くないですか?」
「あ、適当にタクシー捕まえるから…」
「頼られちゃったら最後までやらないと参謀さんに私が怒られそうな気がしません?」
「蓮二には俺から言っとくから、小坂田さんは」
「車で来てるんです。乗せていきますよ」
有無を言わせぬように、朋香はその長躯を引きずって駐車場を歩く。
「ちょっと!小坂田さんストップ!」
今度は幸村がストップを掛ける番だったが、朋香はうるさいとかいろいろ言いながらシャンパンピンクのコンパクトカーの鍵をピッと開けた。
「タクシーよりは安全ですよ。小市民の味方、軽ですから」
怪しすぎて逆に幸村さんだなんて思わない、と朋香は笑った。幸村は観念したように、そうして可笑しくなってしまって、小さく笑って「お願いするよ」と呟いた。
*
「小坂田さんさ」
「はい」
カーラジオは、本来なら平日の、だけれど祝日の午後らしく、なんてことないトーク番組だった。会話の邪魔に全くならない音量で流されたそれに、二人ともさして興味はなかったから、助手席の幸村は朋香に声を掛けてみた。
「なんでまた俺を庇っちゃったの?ほっといてもタクシーくらいは乗れたよ」
「馬鹿にしてます?」
「してない!ほんとに助けられたと思ってます!」
平謝りの神の子なんて、滅多に見られないんだろうな、と思いながら、朋香はちょっとだけ笑ってしまった。その自分の笑顔と彼の青い髪がバックミラーに映って、平坦な日常でしか使われることのなかった就職祝いのこの車が、妙に真新しく朋香には思えた。
「憶えてたじゃないですか」
「うん?」
「私のこと、すぐに‘小坂田さん’って言えたじゃないですか、幸村さん」
遠くを見るように、車線に視線を戻して朋香は言った。みんな変わっていく。良い方に変わっていく人間もいるけれど、そうじゃない人間もいる。それが悪い方だなんて思わない。だけれど、どうしようもなく平凡な方だとは思う。平凡すぎて、誰とも見分けが付かないオフィスレディーになったんだ、と思っていた。
「普通、気が付かないかなって」
幸村との接点は、そう多くはない。確かに、全国大会以外でも、三年生引退後の合同合宿に顔を出した彼と話したことはあるが、きっとその頃の合同マネージャーの一人なんて、名前も覚えていないんだろうと思っていた。まさか顔まで覚えているなんて。しかも、こんなに変わってしまったのに。こんなに、平凡に生きてきたのに、と朋香は思う。
「変わってないよ、全然」
すぐ分かった、と続けられた言葉に、朋香は笑ってしまった。
「お世辞が上手いのね」
きっと、参謀さんからのメールに私の名前が書いてあったでしょうに。
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