『みかづき座のあなたは最下位!残念、今日は驚くほど運気が悪い!今日は傘を持って出かけるとラッキー!』


「誰もそんな当たり前のことは聞いていない」

 テレビ画面に向かって呟いた次の瞬間ビシャっと雷が鳴って、安普請のアパートを叩く雨音も収まる気配がない。占いコーナーは別撮りなのかもしれないが、それにしたってひどすぎる、と思いながら風間はしかし始まった天気予報に仕方なくチャンネルを変えずにその番組を見ていた。

「俺が知りたいのはいつ雨が収まるかだ」

 ボソッと呟いたが、今日は一日雨らしいことしかその情報番組からは得られず、そうしてそれから彼は占いコーナーで『傘を持って』と言われたために思い出した事実に眉をひそめた。





「結局俺は土砂降りの雨の中大学に行き、大学の生協も案の定傘が売り切れで、大学から本部まで濡れ鼠になって来た。責任を取れ」
「ふざけんなよ風間テメー意味分かんねえよ!!」

 一ミリも!一ナノメートルも!!と続けた諏訪は多分もう十二分に責任を取らされているだろう。もう10回ほど仮想戦闘体を活動限界に追い込まれているのに風間は訓練室から出ようともしない。
 本部に来るなりほとんど因縁をつける形でA級3位部隊の部隊長に訓練室にぶち込まれるB級隊員など、因縁をつけられた、以外に適切な表現がないだろうと諏訪は思う。
 しかも雨に降られただの傘が売り切れていただのと、因縁の付け方も完璧な低級さだった。模擬戦の後半は、自己責任の四文字をどうやったら彼の脳に刻み込めるかそればかり考えているから負けているような気がすると諏訪はぼんやり思った。

「間違いない」
「いや、この状況からして間違いすぎだろ」
「先週お前と飲みに行った時居酒屋に傘を置いてきた」
「アウトー!!!ただの因縁だったなやっぱりコノヤロー!!」

 叫んだ時にはもう、彼は操作盤を思いっきり殴って仮想戦闘を終了させていた。





「あれか、先週ってのはあの日か」
「……」

 さすがに大人げなかったと思っているのか、押し黙って煙草を吸う諏訪の横に座っている風間に全く遠慮も配慮も見せずに彼はやっと思い至ったという風情で紫煙を吐き出しながら言った。

「お前が『宇佐美大好きすぎて死にそう』って言った日か」
「そんなこと言ってない。訂正しろ」
「なに、好きじゃないの?嫌いなの?ていうか要約するとそんな感じだろ」
「嫌いではない。訂正しろ」
「ハアッ、お前マジでメンドくさい生き物だね。なに、振られたの?振られた感じか?それで八つ当たりなうか?」

 先週の金曜日、風間はほとんど自暴自棄になって諏訪を呼び出していた。部屋にいるのもままならず、小雨の中を居酒屋まで走らせたのだ。いつもの諏訪ならそのような理不尽な呼び出しに応じるほど心が広いはずがないのだが、携帯に掛かってきた同期の第一声が「消えたい」という恐ろしい発言だったのでダッシュで居酒屋まで来ていた。
 そもそもその発言で居酒屋に呼び出すという時点であまり不安要素が見当たらない、というのに気が付いたのは捕まった後の話だからどうしようもないだろう。後の祭りという話だ。

『消えたい』

 生ビールを一気に飲んで風間はぼんやりと言った。

『え、お前なんかあったの?』

 務めて平静を装って訊く。実を言うとここまで真剣な彼の声を聞くのが久々過ぎて、手の中の酒の味がしていなかった。

『宇佐美が』
『え、また懐かしい名前を』
『宇佐美を』
『落ち着け、宇佐美なんかあったか!?っつーか玉狛今迅いねえのか?木崎に連絡付いたのか?』

 元部下で、信用と信頼の両方を持っていた女子高生のことを話そうとしているのに上手くいかない彼に諏訪が最初に思ったのは、玉狛が近界民に襲撃を受けたとかそういうことだった。A級3位部隊の隊長が悠長に酒を飲んでいる時点でそれはないという単純すぎる理路すら失うレベルにはその部隊長殿が真剣過ぎた。

『宇佐美が好きだ。宇佐美を捕まえておきたい』

 落ち着けと言われたから多少落ち着いて、一気に言われたその言葉に、諏訪は一瞬自分がどこの誰かとかそういう基本情報から忘れそうになっていた。




「振られてない」
「なんだ面白くねーな」

 訓練室近くの喫煙ブースにそもそも人は少ない。二十歳越えの戦闘員が少ないというのもあるし、彼ほどのチェーンスモーカーは多分ボーダー隊員には珍しいだろう。ついでに言えば、深刻な顔の風間の横で同期の諏訪がタバコを吸っている時点で、ここに突っ込んでくる猛者は風間隊の人間に限られるだろう。諏訪以外の諏訪隊の三人は「触らぬ神に祟りなし」という日本語を当然ながら知っているのである。

「そもそも告白していない」
「まどろっこしい!マジで因縁つけてきただけじゃねえか!」

 ダンダンと足を踏み鳴らして、それから彼は灰を落とす。もう一本吸おうかと思ったが、真面目に話をした方がいいような気がして胸元に伸ばした手を引いた。

「お前の妙な倫理観がオレにはさっぱりだ」

 ごく自然な口調で諏訪は言う。さっぱり分からないと言われて、何か言い返そうとしたのに、風間の口からは一言だって出てきやしなかった。
 風間の「消えたい」という壮大な発言の理由は、その妙な倫理観によるものだった。
 曰く、年下で、成人もしていなくて、元部下で、自分を信頼していて、信用している宇佐美を、女性として好きになっていた自分が許せなかった、と。

「宇佐美はこんなの求めてない」
「どんなの求めてんだよ」

 即座に言い返されて風間は一瞬言葉に詰まる。

「……大人で、頼ることが出来て、強い俺しか求めていない」

 一瞬詰まった言葉は、宇佐美に見て欲しい自分を最初から最後まで否定する言葉だったからだった。
 それに諏訪は、やはりもう一本吸おうと思ってトンとタバコを取り出す。

「お前、ボーダー入った時から戦闘員だっけ?」
「……ああ」
「オペレーターの経験は」
「あるわけないだろう」

 突然何を言い出すんだ、と思いながらも、タバコ片手に紫煙を吐き出しながら問う諏訪に彼はぼんやりと答えていた。

「女になったことは」
「……ない」

 問いの真意が全く見えない、と思いながら、分かり切った答えを彼は紡ぐ。

「じゃあ、宇佐美になったことは」
「は?」

 凄んだが彼はそんなもの意に介さない。タバコをくわえたまま、ひどく凪いだ視線で彼を見返すだけだった。

「宇佐美になったことは」

 重ねられた問いに、風間は返答に窮する。何故窮する必要がある、と頭の中で言う声があるのに、言葉が出てこなかった。
 『ない』と一言で済む言葉が、出てこなかった。

「あるわけねーよな」

 そのたった一言で済む言葉が、無残なほど無慈悲に叩き付けられて、風間は言葉を失った。

「オメーこそ宇佐美に何期待してんだよ。なったこともねえくせに」
「俺は」
「お前宇佐美になったことないのに、なんで宇佐美が求めてる自分とか言い切れんの」
「当たり前だろう!」

 気が付いたら風間はその痩躯からは考えられない腕力で諏訪の胸ぐらを掴み上げていた。
 ぽろっと落ちたタバコを、しかし諏訪は冷静に踏み消す。

「こんな感情向けられて、宇佐美が喜ぶはずない!」
「向けたこともないくせに一丁前言ってんじゃねえよ」
「お前に何が分かる」
「お前の行動原理が一向に分からんわボケナス」
「この感情はアイツが思うほど優しくない、強くない、綺麗じゃない」

 言い募る風間を、諏訪は淡々と見下ろしていた。
 それはそうだろうと彼も思う。例えば宇佐美が風間を好きだとしても、その好きが恋愛感情だとしても、それは多分、多くの女子高生が考える恋愛で、風間のようなもう大人の域に踏み出している男から向けられる感情が彼女にとって綺麗かどうかなんて分からない。優しくもないだろう。強くも見えないかもしれない。


 だけれど。


「じゃあ宇佐美はどこに行けばいいんだ」


 静かに言われた言葉に、風間は言葉を失う。
 意味が分からなかった。
 なぜ、今宇佐美のことを彼が言うのか、思考と理解が追い付かない。

「お前のことが好きな宇佐美は、当のお前がそんなこと言うならどこに行けばいいんだ」
「何を言っている……」
「ほんとめんどくせえわ。お前が宇佐美に惚れてた挙句『消えたい』とか馬鹿なことぬかすから、どうせへし折るならはえー方がいいなと思って迅のヤロー呼び出したんだよ。宇佐美に彼氏いんのかその辺聞いとこうと思ってな」

 やれやれとでも言いたげな雰囲気で、だけれど静かなその言葉に、風間は掴んでいた彼の胸ぐらから手をどける。ずるずると頽れるように座った喫煙ブースの椅子がやけに固いと思った。

「答えがそれなのか」
「なんだ、もっと喜べばいいだろ」

 からかうようなことを言っているのに全くそういう気配を感じさせないのは、この馬鹿が付くほど真面目な男の考えていることがだいたい分かったからだった。

「だとしたら、宇佐美が好きな俺はどう足掻いたって隊長の俺だ。俺との感情が違いすぎる」
「埋めていくしかないだろ、んなもん」

 無理だ、と言い掛けた彼に、諏訪は笑って言う。

「お前は宇佐美になったことないだろうけど、宇佐美も風間になったことないんだからよ」

 あっけらかんと言われて初めて目が覚めたような気がした。
 そんな当たり前の言葉に迷っていた自分が馬鹿馬鹿しくすらある、と思って風間は行儀悪く壁に寄り掛かっていた。

「お前に人生訓を述べられるとこの上なく腹立たしいということを学んだ」
「お前本気で殴るよ?オレ本気だよ?」
「あの宇佐美相手にギャップを埋め切れるかどうかだな」
「そりゃ本人たち次第だろ」

 そう言って諏訪はくいっと顎でそのガラスで仕切られたブースの外を示す。

「つーか本人に聞いてみろよ」
「……宇佐美?」

 パタパタとこちらに向かって走ってくる少女に、だけれど感じるのは焦りではなかった。
 風間隊の人間でもなければ、祟られても来ざるを得ない諏訪隊の人間でもない一人の少女が、このブースに向かってきているのだ、と思っても、焦りが生まれないのがどうしてか不思議だった。

「風間さーん!ってうわ、ここ煙すごいな!」
「悪ぃな、オレ吸ってたから」
「ていうか喫煙ブースってそういうところですよね!すみません…って、さすがに喫煙スペースでもそれは火事のもとだよ!」

 先ほど踏み消したタバコを平然と拾う諏訪に思いっきり文句をつけた宇佐美を、風間はぼんやりと眺めていた。
 浮かんだ感情は、「好きだ」という単純すぎる感情で、単純すぎて逆に脳内が統御できていないのだな、とぼんやり思っていた。

「諏訪さん、さすがに考えてくださいよね!もうこれ困るんだから、いくら諏訪さんタバコ好きでも、」
「宇佐美」

 延々と文句を述べる宇佐美に風間がたった一言声を掛ける。

「宇佐美」
「はい、何ですか」

 風間さん、と振り返った彼女の笑顔に、世界が色づいたなんてそんなベタな言葉しか出てこなくて、彼はどうしてか可笑しな気分になっていた。

「宇佐美、俺は―――」